昭和46年02月02日 朝の御理解
御理解 第94節
「信者に不同の扱いをすな。物を余計に持って来ると、それを大切にするようなことではならぬ。信心の篤いのが真の信者じゃ。」
先生に大切にされなくても、神様に丁重に扱うて貰える、神様に大切にして貰えれる信心を頂きたいと思いますよね。先生からはちやほやされる。けれども神様からは大切にされないなんて、こんなつまらない話はありませんね。これは先生の立場いわば取り次ぎ者の立場。これはまぁ私のことですけれども、まぁ都合よう言わなければ信心が出来ない信者があります。どんなにろくそうにしておっても、信心がどんどん出来ていく信者があります。やはりその性格。神様の深い御神意ご都合による事。
だからここではまず形の上に現れる、よく言う先生に大切に扱われると言う様な、それは、本当は分からんのです。いうなら皆さんでは分からんのです。いうならば取り次ぎ者としては、それこそ百人百様でありますから。この辺の所はまぁ今日は置くと致しましてね、勿論神様に勿論先生にも鄭重に扱うて貰うと言うか、神様にも丁重に扱われる信心を、本当に頂かなければなりません。いうなら先生に喜んで頂けれるという事は、金光大神にも喜んで頂けれるという事なのですからね。
いわば金光大神に喜んで頂けれる、神様にも喜んで頂けれる、そして又私共も喜べれる信心をさせて頂かにゃならん。所謂神も喜び氏子も金光大神も喜び、氏子もの喜びだと仰る。そこで信心の篤いのが真の信者じゃと。ですから私共は結局真の信心を目指す信者にならなければならんのですね。真の信者に成らして貰わにゃいかん。それはね信心の篤いのが真の信者じゃと。信心信心の篤いという事は手厚いという事。信心のいわば実意丁寧行き届いた、いうならば素直な信心の篤いのが真の信者と仰るから。
信心手厚う信心をさせて頂かなければならんと言う事になる。そこで先ず真の道真の道を分からせて貰い、いや真の道を行じて行くと言う事にもなる。神の教えも真の道も知らぬ人の哀れさとこういう。神の教えを頂き真の道を分からせて貰う。その真の道を行じて行くという事。真の道を行じていくしかもそれが手厚うに行き届いて行じて行くというのが、だから信心が篤いという事になり真の信者じゃという事になるのです。
勿論真の信者になるのですから、真のいわば真のおかげが、これに伴うておらないはずはないわけであります。信心はざっとしていて、おかげだけは、手厚いおかげを頂きたいと言うような者が多いですね。信心は少しばっかりしとっておかげは、がばっと頂きたいち言う。それにはやはり真の信者とは言えないわけです。そこで真の信者を目指さなければなりません。昨夜お月次祭に、中島の大和さん達が夫婦でお参りをしてきております。ここに、今月の二十四日が、あの例年の謝恩祭であります。
皆さんももうご承知の通りもう実意丁寧。もう本当に行き届いた信心をなさいます。で、昨日もここで夫婦でいよいよ、謝恩祭宅祭りの私共の月に入りましたから。どうぞよろしゅうおかげを頂きますように。不行き届きの事がございませんように。神様に喜んで頂くようなお祭りの奉祭されますようにと言うて、お届けがありましたから、私が申しました。あのね神様に喜んで頂く信心という事はね、もういうならばあなた達夫婦がね、夫婦がね、本当に喜べれるという事。
あなた達が喜べれる信心を、いやお祭りを奉仕して頂こうという気にならなきゃいけません。神様が喜んで頂くように、神様が喜んで頂くようにと例えば、ほんならお参りが沢山あったとか、お供え物がもう本当に教会の大祭のごとあったとかと。と言う事が神様が喜んで下さるのではないですからねと。いわば余計にお供えを持ってくるから、それをいわば大切にされるという事ではないのだから神様は。
そこで私共がね例えばお祭りを、お仕えさせて頂いた、その後に本当におかげを頂いたと。私は親教会にご無礼をするようになりますね、五年間余りの空白がありましたが。その最後の謝恩祭をする時には、して頂く時には第一祭典費がなかたった。それでもまぁ神様に喜んで頂く日に、やっぱお祭りを仕えさせて頂きたい。とにかく神様に喜んで頂くおかげを頂きたいというその一途な思いで一生懸命願いもさせて頂く、同時にまた折角のお祭りでございますから。
お供え物ならお供え物一つでも、まぁいうなら海山川根の草々のものと、お祝詞にも申しあげられますように、どうぞ一つ海山川根の草々の物が、ご神前にお供え出来ました。おかげを頂きますように、それから又親先生にお見えて頂くことでございますから、どうぞご直会もまぁお粗末にならんような、ご無礼にならんようなおかげを頂きたいという、まぁ一念を燃やして、お宅祭りの準備にかからせて頂きました。
神様に一生懸命お願いをさせて頂く、そのお祭典費と言うとを別にございませんでしたからね。やっぱりところがやっぱり一週間ぐらい前からですね、いやそれは本当に珍しいものが集まってくるんですよね、あの時分に例えば人間の見えん時は、あの配給ね遅配撤配というような時代なんですから。当然お金があればどんなヤミ物でも買えるのですけれども、ないのですから。お餅をつきたいお鏡をつきたいというても、そうてんばら安うに、餅米が手に入らないという時代なんです。
それでもやはり海山川根の草々の物をと、こう願わせて貰います。もうその当時としては珍しい様に進駐軍に関係のある人が、頂き物だからと言って進駐軍で使われる飲み物とか、缶詰なんかを頂きましたがね。もう思いもかけないところから、お神酒を頂きました。お神酒というてもそげん一升瓶じゃないですよね。まぁ少しばかりもう当時は、酒の配給なんかもやっておりません時代ですからね。
でもそのお神酒にでも、いわゆる事欠く時代です。それでもやっぱりあれこれ、まだ足りない物がありますから、久留米に出らせて頂きました。神様にお願いさせて頂いてまぁブローカーのような事をやっとりましたから、多少色々神様にお願いさせて。それでまぁ久留米の、久留米の事ですから、久留米の教会に、何回か熱心にお参りさせて貰いました。初めの間はお初穂があった、お賽銭もあったけれども、四回も五回も参り時には、全然お賽銭もなくなってしもうた。
がっせの中にもがっせですね、昔大きなお金のこうある、開けて見たところがあのその時分に、証紙というのがありましたよね。あの物を買いますと切手のような物をくれるんです。証紙が一枚入っております。ですから私はもう一番最後の時には、お初穂もなからなければ、お賽銭もないですから、とにかく氏子の真があれば庭の散葉でも、と仰るぐらいだからその証紙を押し頂いて、お賽銭箱の中に入れさせて頂いた。
その時に又、神様からお知らせを頂いておるわけじゃないですけれども、心の中にねいうならばその当時ですよ、百円のお賽銭が、お賽銭箱の中に入れられる。まぁその時分のお初穂というのは十円くらいでした。十円札というのがありましたがね。その時分例えばほんなら儲け出してからです、お賽銭箱の中に、百円のお賽銭箱が入れられるような、おかげを頂く時でも。
今この証紙をお賽銭代わりに奉っておるこの心持ちを忘れるなよと、私の心の中に響いてくる思いが致しました。皆さんもお賽銭立ちながらでも、ピョーンとこう投げ込むごたることしよんなさるけれども、そんな事じゃいかんです。お賽銭というものはね、天地の親神様に奉る。お寺さんに行ってもお宮さんに行っても。だからお賽銭というのは天地に捧げるものだと、ここでは私は頂いておる。
お初穂というのは、金光大神に縁を積み上げる代わりと仰る。お供えていうならば、先生に対するお土産代わりなんだ。ですからもう本当に十円の、例えばお賽銭でも押し頂く思いで私はお供えしなきゃいけない。ほんなら私がここに本当に真に相済まんことでございますけれども、もうお賽銭も使い果たしましたから、証紙一枚をお賽銭代わりとして、奉らせて頂きますと言うて、お供えをする心持ちなのだ。
それはほんなら今でいうなら、百円札でも一万円札でもですお賽銭箱の中に、お供えさせて貰える位になってもです。それこそ相済みませんけれどもこの様な事ではという、いわば私は証紙を奉った時分の、あの心持ちが大事だと思う。そういう私はあり方にならせて頂く時にね、神様に大切にされると思う。それからある私が知った所に参りましてから、大坪さんこげな風な品物があるけん、どっかから向かんじゃろうかと言われて、商品の方を買ってから、それが売れたのはもう一時間と掛かりませんでした。
あれも買いたいこれもお供えしたいという物も、まぁ大体揃いましてからもうお祭りの時間も間近になっておるという時間にね。丁度間に合うて帰らせて頂いた。まぁその時分の事を思うてみますとね、丁度(むしろ)に遠い親戚がありました。浮羽郡にそこからもう思いもけないですね、紅白のいわゆるあれでどっか、御祝儀かなんかがあったち言うてからね。お手付きの餅と言うあれ、大きなね餅を頂いたんです。
それからあの折詰にですね、そのいわばその色んなおご馳走が入った折詰と、そのお鏡をちゃんと頂いたんです。もう本当にお鏡さんのお供えしたいけれども、餅米がないしお米もつくと言うても間に合いませんしね、だからあんこの入ったお鏡さんでした。けども、やっぱりお鏡はお鏡です。紅白のお鏡さんがね、お供え小さいお三宝のこの位な、三宝ですから丁度いい位なそれでございました。
丁度善導寺の親教会の御用で、平端の漁師さんのお家に用事がありまして、そこに行きましたらねお茶が出ました。お茶が出てからあら漁師さんの家に行きますと、お茶受け代わりがお魚ですね。こんな小皿にですね、ハヤの煮たやつをお茶受け代わり。私はあの漁師さんの家いくと、やっぱ魚がお茶受け代わりという事を聞いた時に、そん時初めてそのお茶受け代わりにね川魚が出ました。
私は川魚が全然好かんとですから、だからもう折角こらお茶を頂いてから、出たっちゃからこれはもう、あの頂いて帰りましょうち言うてね、この位ばっかりのハヤが四、五匹ぐらいついじゃった。それをあの裏から広葉を切って貰うてから、それを包んで頂いて帰って、それが海山川根の川の物のお供えでした。今のようにもう月次祭たんびに、こんな鯉のお供えと言う様な事が出来なかった。
いやふなごでも生きた魚だと思うのですけれども、買わんのですからね。だからそのハヤが言わば川のものであり、山本の甥が居りましたが妹の叔父が、まぁそれこそ山の物を色々持ってきて、お供えを持って来てくれましたから、まぁ海山川根の草々の物がそのようにして、もうとにかくね、神様がお粗末ではあっても最終限度であっても、私が思うておる海山川根のくさぐさの物が集まる。
私はそれ以来ここでまぁお月次祭の時に、海山川根の草々の物という、お月次祭たんべんに集まると言う様な教会は、まぁ私どんな知りません。例えばお月次祭たんべんに、その鯉のお供えがあったりね、そして良いところは、私もうこれは川の物なんかてもう大祭の時のだけのごとしか思うとりませんでした、教会では。ところがここはどうですか。はぁ、月次祭たんべんに、川の物のお供えがある。
その時分なやっぱりいうならば今日から、今日の御理解でいうとです、いわば手厚い信心が出来ておったからではなかろうかと思うです。ですから必ずしもこげな魚と言う様な事でなくてね良い訳です。必ずお酒は一升瓶じゃなくても良いわけです。いうならばハヤ一匹でも川の物に間違いないのですから。神様はそれこそ大きな鯉と言う様な風にでも受けて下さったに違いありませんよね。
まぁご直会はというてね、私は一番最後の時の宅祭りを思い出しますがね、母があんたこれはお米もなかって、沢山参って頂くとにご直会はどげんするのちから、言いましたから、もうあの茶粥さんを集めて頂きましてね。もう茶粥さんで良いんじゃないの直会は。と言うてね申し上げました。けども親先生にだけは、そんな訳にはいけんからと言うたら、先ほどの話じゃないですけれでども。
折詰のね色んなのがご馳走が入っておる。大きな魚も入っておるお膳に綺麗に積み上げて家で作ったお野菜とか、まぁ盛り合わせたつやらをお粗末な事だけれども、親先生だけにはちょっとしたお膳部が出来る。だからもう後に参って頂く皆さんにはもうそれこそ神様のお下がりを、そのまま下げて頂いてあるもので良いじゃないかと。けれどもその時にもやっぱり、あちらこちらからお米一俵位頂いておりましたでしょう。
だからいわば堅いご飯も炊かせて頂きますし、その時に私は忘れもしませんが、久富先生の奥さんのお母さんが、深町さんちおられましたが、北野からお参りをされる。その時分には、私の話を来て下さる方達が大分ありましてね。その方達がもう思いがけなく、北野から五、六名お参りがありましてね、こんな桶にいっぱい、今日はあちらのお祭りだからというて野菜サラダを作って頂きました。
まぁその時分に例えば野菜サラダなんて珍しいです。それでまぁあれやらこれやら、まぁまぁ可笑しゅうはない。その当時としては可笑しくないぐらいに三十、四十人からお参りがありました。その四十人の方達にご直会もあげられもうお神酒も、それこそあのお盃でお神酒だけは、ちょうど皆に行き当たるだけあって、後は焼酎のお供えあっとたから、まぁ焼酎でご直会を頂いてもらった。
これが私が善導寺の親先生から、一番最後にお祭りを仕えて、謝恩祭を仕えて頂いた最後でした。そういうとにかく神様の、こちらの止むに止まれん思いで、例えばお祭りを奉仕させて頂いて、さぁお祭りを仕え終わった後の有り難さと言うたら、もうそれこそもう頭が上がらんほどに有り難かった。だから私は大和さんにその事を、昨日ちょっと思い出させて頂いたから。
成程神様に喜んで頂くお祭りでなからなならんがね、先ずあなた方夫婦が有り難く思えれる信心をなさい。いやお祭りを仕えさせて頂きなさい。私もそれ以前にお宅祭りを仕えて貰う時なんかはね、もうその誰々さんも参って来て貰うし、親先生に来て頂くから、もう人間心を使うてですね。もう自分の思いようになるとお祭りの時、宅祭りの時には必ずもやもやするもんと思うておるぐらいでした。
昔は私はその位にやっぱ人間心を使っておった。人ん思うごつならんもんじゃけんもやもやしてから、家内やら親やらがやかましゅ言うちからその言う。だからその時分は本当に神様が喜んで頂くという事に、焦点がおいてあった訳ですよね。又人間が喜ぶ親先生が喜んで頂くという事だけに、焦点をおいてある。それもまぁいうなら真というなら、真かもしれんばってん、こちらにはいらいらもやもやして、なにか物足りないような物ばっかりしかなかった。
ところがねそれこそ真心一心、止むに止まれんという思いで、そういう出来ん中からそのようなお祭りが出来させて頂く、その後の喜びというものは、もうこれは私が喜ぼうとして、喜べるのじゃない。なるほど神様が喜んで下さるからこそ、私共にそういう喜びを送って下さるんじゃとしか思われないほどしの喜び。だから大和さん、神様が喜んで下さるということよりか、自分達が喜べれる、芯から心から喜べれる人間心を使わんでもいいから、喜べれるお宅祭りじゃなからにゃいかん。
謝恩祭でなからにゃいかんよと言うて、まぁ昨日も申しました事でございます。そこにはね、何を求められるかというと、手厚いという事なんです。行き届いた手厚い、いわば信心。いうなら、手厚いお祭りが、そこに奉仕出来れるような準備こそが、例えば大事だというわけなのであります。私は、だから、信心の篤いのが真の信者じゃと。という事は、信心が手厚いという事。
ほんなら手厚いという事はどういう事かというと、自分自身がいつも喜んでおれれるという事。手厚い信心をさせて頂けば、必ず神様が喜びを与えて下さるのだ。そこに私は真の道もはっきりしてくる。真の信者としてのお取り立ても頂く。いわゆる神様から大事にして頂く。神様から丁重にして頂けれるおかげが受けられると、私は思うのです。昨日の月次祭にも、ちょっと申しましたようにね、お互いがいわば手厚い非常に何時も心から神様を外さない。
お風呂に入らせて頂くでも、ご飯を頂くでも一生懸命の、私はお風呂を頂くであり、お食事を頂くでなからにゃいけん。一生懸命にお食事というて、飯鉢まで頂くというのじゃない。五杯食べようとを六杯食べるという意味じゃない。一生懸命でご飯を頂くという事は、一生懸命で神様を思わせて貰うてのお食事でなからにゃならん。そこにはもう甘いもなからなければ辛いもない。
そういう意味で私がお家でお茶粥さんを炊きます。そういう時にはもういうなら何も、まぁいうならばお粗末な、もう漬物でもなんでも頂けれるのが茶粥です。ですからこれはもう本当にそうなんですけれどもね、お茶粥さんで、お食事を済ます時ほど有り難いことはないです私は。美味しいという意味じゃないですよ。有り難いです。涙が込み上げてくるです。お茶粥さんを拝んで頂こうという時にです。
今日まだなんかなかったか、なんて言う様な心はこれから先でん起らんです。一生懸命頂くからなんです。このお茶粥さんのおかげで、例えば私共の一家が、いわば食べ繋ぎが出来てきたんだから。このお茶粥さんのおかげでといわば思う心が強いから。お風呂に入らせて頂きゃ、あぁ極楽極楽ち言いよるばってん、いっちょん極楽じゃない。心が有り難くない。そういう時には何か、何処にか間違いがある時だから。
風呂に入りながらでもちょと思わせる。はぁお風呂に入る前の、あそこんにきが違うとったと思うて分からせて頂くとね、お風呂の中で本当の意味の極楽がある。有り難い勿体無いそれはどんなに、裾風呂に入らせて頂いても有り難い。もう全ての事の上にですそういう自分が喜べれる。自分が有り難いと思えれる生活。そういう生活を私は真の信心生活だと思うです。信心が手厚いち言うのはそりゃお宅祭りを仕えるという。
お広前参拝のおかげを頂くという時だけではなくて、その生活そのものが、ただ今申します様な何時も心の中に喜びを、神様が送って下さるほどしの一生懸命の有り方というものが必要であり。そういう信心を私は手厚い信心というのじゃなかろうかとこう思います。信心の篤いのが真の信者じゃ。どうでも手厚い信心をさせて頂きたい。そして真の信者としてお取り立てを頂きたい。その真の信者としての、おかげを頂かせて頂く所からです。神様から丁重にされれるおかげ。
それを私共はおかげという本当のおかげ。真の信心に真のおかげが伴う。それは影と形のようなものである。今日はこの九十四節を取分け信心の篤いのが真の信者じゃと教えて下さるのです。この最後の所に重点をおいて聞いて頂いた積りですけれどね。信心の篤いとはどういう事であろうか。又自分自身としても、手厚い信心をさせて頂きたいと願わせて貰うての信心でなかなければならない。そこに真の信者としてのお取り立てを頂く事が出来るという風に思うのでございます。
どうぞ。